海外移籍過去から現在
日本とヨーロッパのサッカーの関わり
今多くの選手がヨーロッパで活躍していますが以前はどうだったか。
過去のヨーロッパ・移籍の現状
横浜FCゼネラルマネージャーの奥寺さんがブンデスリーガで活躍していた。
昔よく見ていて、印象に残っている、左サイドを突破して、クロスを上げる。
なぜかきちんとディフェンスされてるのにボールが上がってくる。
その当時、ゴールラインまで運んで、そこからマイナスのボール。センタリングという言葉で使われていました。
ゴールラインまで運ばないで左足のインフロントでクロスを上げてくるシーンを何度も見る中でドイツのサッカーは違うんだなと思って観てました。
今まだ現役で頑張っていますが、三浦知良選手
三浦選手がジェノアというイタリアのチームに移籍するわけですけども、日本の企業のスポンサーが大きく絡んでいたという現状でした。アジアの一選手が世界のトップリーグでいきなり活躍するもしくはそれを獲得するという状況にはなっていなかった。日本のスポンサーを連れていったということも含め、ジャパンマネーにも注目されていました。
その成功を元にして次にペルージャに中田英寿選手が加入しました。これも当時のペルージャのオーナーが日本進出を狙っていて、その足掛かりとして動いたということが現実です。その当時のペルージャの橋渡しをした代理人の方からも話を聞きましたが、現状でペルージャとして必要としていたという状況ではなく、日本の選手ということで探されたということでした。
ただ、実力が無かったわけではなくて、それに伴う日本のお金で選手がヨーロッパで活躍するという形が少しずつ出てきました。
選手の実力による移籍、日本人選手の評価が上がり始める
選手の実力として、企業のスポンサーがついているわけではなくという形で言うと小野伸二選手が最初じゃないかと思います。彼以降については選手の実力でチームとして必要だからということで加入していくという流れができてきました。
最初の頃よく言われたのは三浦選手も中田選手もそうですけど城選手や名波選手もそうですけど日本で大活躍していた選手が続々とヨーロッパに挑戦していきましたが、あまり芳しくありませんでした。中田選手に関してはそこからステップアップして名門のローマでプレーをしましたけど、彼は人一倍現地で努力をしました。最初の方のヨーロッパでの評価としては日本人選手はフィジカルの部分が足りない。もう少し早く来て、基礎を鍛えておけばもっと良い選手になれたんじゃないかと当時から言われてました。ただ、こういう話は日本のメディアは残念ながら報道しないので、当時ヨーロッパにいる人たちから現地ではこういう評価だよ。と聞くに留まっていました。
小野選手から日本人選手の評価がどんどん上がっていき、今、私の教え子たちも高校生年代でヨーロッパに行ってますけど、日本人選手は上手い。誰が来ても上手い。という評価に変わってきています。そう言われるようになったきっかけは小野選手だと思います。
続々と選手の海外移籍、きっかけはW杯出場
その後ヨーロッパに沢山選手が出ていくんですけど、そのきっかけはワールドカップ出場。初出場が98年フランスワールドカップ。結果は予選リーグ敗退。私も現地でその状況を目の当たりにしてきましたけどスコア以上に差があったと思います。
ただその次の自国開催の2002年ワールドカップの為にトルシエ監督を招いて、準備をして、良い結果が出て、決勝トーナメント進出という目標が叶いました。その当時のピッチに出ていた選手は多くの選手がその後にヨーロッパで活躍することになります。つまり世界中の人たちにプレーを見てもらう機会が2002年にあったということです。そうするとなかなかJリーグ見てスカウトしようという人はヨーロッパに多くいませんでしたから、世界中の人たちに見てもらうことはステップアップのいいきっかけになったと思います。
戸田選手、柳沢選手、稲本選手、川口選手などがヨーロッパの舞台で活躍し、その後に岡崎選手がレスターでプレミアリーグ優勝という大活躍を果たしました。香川選手もブンデスリーガで優勝を経験した上で全世界の憧れのマンチェスターUの一員になる。という流れが現実に出てきました。この選手たちはみんな日本育ちでしたが今のトレンドは久保建英選手のように海外で生活をしてステップアップしていくという形に変わりつつあります。
ヨーロッパに進出していった選手の話は個別に取り上げて話をしていきたいと思います。
今のヨーロッパ進出の現状
現地で日本の選手を受け入れる体制がどの国にも出来つつあります。20代、30代の元サッカー選手がヨーロッパでコーディネーターとして活躍し始めているので、これから日本の子供たちがヨーロッパへ行きやすい環境が今後整っていくのではないかと思っています。エピソードも含め、小さい頃日本で育った環境の中でとヨーロッパに行って、彼らがどういう風に選手生活を送っていったかということを振り返ると、日本で頑張っている子供たちの参考になると思うので、そういう話はいつかまたさせていただきたいと思います。